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お知らせ2018.02.08
家の近くに小学校があり、いつもそこで遊んでいました。
私にとってはすごく大きなジャングルジムがありました。その高さは、隣に建っていた公民館の2階の窓ぐらいだったかな。上下左右斜めとジャングルジムを縦横無尽に動き回っていました。まったくサルもどき。スルスル、スルスルあっちへ行ったりこっちへ来たり。上へ登っててっぺんに上がり、手を放して歩き回っているかと思うと、ずずずーっと下へ降りて一回転。
だから、小学校の鉄棒も大得意で、スルスルするっと逆上がり、前回り、片足回りと好きに遊んでいました。小学校の体育館に放課後忍び込んで、うんていやはしごのぼりもお手のもの。さすがに、音の出るボール遊びはしなかったけれども、戦後10年ぐらいの小学校はおおらかなものでした。広い校庭も授業のない時には、一人で走り回っていました。
とにかく、食糧難の時代が過ぎたとはいえ、5歳児の1年保育に入るまで、私の体は軽かったようです。
また、家の隣にお寺があり、そこでも遊んでいました。
戦後のベビーブームの端くれに生まれたので、同じ年の女の子は周りにいなくて、年上がうじゃうじゃいたのです。その子たちが学校から帰るのを待っていて、お寺で一緒に遊びました。陣取り、段飛び、鬼ごっこ、釣鐘をポーンとついたり、ぺった(メンコ)、おじゃみ(お手玉)、ゴムまりつき、冬はお寺の屋根からドーンと雪が落ちてきて雪の山をありの巣のように掘っての鬼ごっこ、その上を利用して、竹スキー遊び。
とても狭い境内で町内の子供たちがいっぱい遊ぶことができたのも、和尚さんがおおらかだったのですね。当時はお寺に毎日のようにお年寄りが集まってきて、お説教の声が、我が家にも聞こえてきていました。お堂の中も、子供たちは入り放題。壁の地獄極楽の絵が怖かったです。お寺の広いお堂を使って町内の演芸会なども開かれていました。まだ、テレビが各家庭になかったころで、何かと言っては、お寺に集まっていたみたいです。